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宝物をくれた子どもたち


1996/03
■子どもたちの精一杯の気持ちの表現
埼玉県 B・A

 「行って来るねぇー」学校から走るようにして帰ってきて、そそくさとおやつを頬ばった次男坊は、寸分の時間も惜しいようにそう言うと、遊びに出かけようとする。暗くなるまでの友だちとの数時間、それが今の彼にとって人生の全てである。

 小学1・2年の頃は、女性教師のクラス運営の問題からクラスが荒れに荒れ、友だちとの幾つかのトラブルも身を持って体験した彼だったが、今はきさくな男性教師のもとで大いに子どもの世界を謳歌している。親の欲目で見れば、勉強がほとんど眼中にないのが、玉に瑕ではあるが。

 その息子が遊びに行ってしばらく経ってから、家の電話が鳴った。彼が「自転車で事故に遭い、ひっくり返っている」との、通りすがりの婦人からの通報だった。
 車を飛ばして現場に急行すると、彼は子どもたちのたまり場でもある学校脇の商店の前の路上で横たわっていた。頭に濡らしたタオルをあて、痛そうである。タオルは店屋の人がわざわざ当ててくれたらしい。タオルをよけて見ると、何と二階建て、三階建てのタンコブが頭頂部にでんと鎮座ましましているではないか!

 話によると、店の前の坂を自転車で下って来たときに、いきなり横から小さな子どもが飛び出して、避けきれず道の横のコンクリートの門柱の角に頭から飛び込むようにして激突したのだという。幸い息子の意識ははっきりとしていて、ひとまずは安心というところ。

 その間、彼の周りを数人の彼の友だちがまるで自分のことのように心配顔で、片時も離れず見守ってくれていた。私が息子を車に乗せて病院へ向かおうとすると、ある子が「あまりにも可哀想過ぎる」と言って、家までとって返し、彼の宝物である金色のカードなどをいっぱい抱えてきて、息子の横たわる後部のシートに投げ入れた。その友だちの精一杯の気持ちの表現だった。息子は痛そうな顔付きのまま、嬉しそうに笑っていた。幸い怪我の方は大事に至らず、その後安静にしていることで回復に向かっていった。

 今、子どもたちの心もすさみ、荒れているという事例が多い。だが、それは周りや背後にいる我々大人や親たちの照り返しである場合も多い。このような思いやりを持つ子どもたちがいるということ、それを育む親がいて、クラスがあるということ、これは当たり前のことではあるが、今それがとても貴重なことであるように思われる。       (A)



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