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子どもを施設に託すことの是非


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子どもを施設に託すことの是非   …ひきこもりの対応について

 これはある61歳の主婦の声である。
「施設にお願いすることは、子供を見捨てること、とためらったカウンセリング仲間のお友達(4人)は、まだお子さん達のことで悩んでいます。もちろん、カウンセリングで、私の知らないたくさんの立ち直った方がいらっしゃることとも思います。息子をお願いした施設で、100人が100人とも立ち直るとは思いません。しかし1人でもいい、2人でもいい、お子さんに合った施設にお願いすることで、お子さんと親御さんが救われたら、と願っています。」

 長期の引きこもりの若者の存在が注目される中で、引きこもりの子どもへの対応の仕方の一つとして、切羽詰まった家庭からは専門の民間の施設へ託すという方法に関心が集まっている。親元から引き離し、全寮制の施設の中で同じ状況の子どもたちを生活させ、自立を図っていくというやり方である。

 これに対して、一方では、施設にお願いすることは子どもを見捨てることになるのではないか、という考え方もある。人間関係の基礎は親子関係にあり子育ての問題はあくまで親の関わりが大切だと考えるからである。

 しかし、現実には長期のカウンセリングにも関わらずなかなか立ち直りにつながらない例もあり、時には、家族の間がこじれて近親憎悪の関係になり、ひとつ間違えば傷害事件や殺人事件に発展しかねない状況に追い込まれている場合もなくはない。その時にも、果たして家族の責任として放置しておけるのかどうか

 日本の家族というのは昔からそんなに強固な存在であったわけではない。いつの時代も、時代の波、社会のうねりに翻弄され続けてきた。父親の存在が一家の大黒柱のように思われてきた時代も、そのような時代的背景に支えられてのことであった。だから、時代がその精神的支柱を失った時、家族もまたその柱を失い、社会との強固な繋がりを解かれ、漂流することとなった。そのような家族に、社会の病理を色濃くにじませた引きこもりという現象をすべて引き受けろといっても無理な話であろう。

 また、実際に引きこもり問題に携わる人からは次のような意見もある。「社会性っていうのは、実は外側の人間がつけてくものなんだよ。愛情とか、躾とか、という部分は親がする。しかし、親だから社会性を付けさせてやることが出来ない。だから、他人が介在すべきだ。親が努力すれば何とかなる、というのはウソなんですよ。親だからできない。僕が、自分の子が不登校や引きこもりになったら、間違いなく他人に頼みますよ。」
 また、引きこもりの問題への社会的支援を求める親は言う。「もはや家族だけではどうしようもない。家族の限界を超えている」

 かつて家族は個と社会をつなぐ一種の緩衝地帯であった。しかし、社会の変貌とともに家族の機能も必然的に大きく変貌した。その中で引きこもりの問題も発生している面がある。そのような家族を支えると同時に、民間、公的を問わずそのような人たちを引き受ける施設の拡充が望まれるところだ。

 しかし、このような施設に収容することが本当に本人のためになるのかどうかはそう簡単に判断できない側面もある。以前、不登校の子ども達を教護院(児童自立支援施設)に収容してはどうかという与党の案が浮上した時、親の会等の団体から激しい抗議が起きたことがある。それは不登校は犯罪や非行ではないということもあるが、そういう施設が必ずしも子ども達の健全な成長にふさわしい場所になっていないからである。そういう施設で体罰やリンチ紛いの扱いを受けたという声も聞こえてくる。

 そういう人たちがもっと自由に生き生きと関われ、その関わりの中で立ち直っていけるような場の充実こそが望まれていると言えるのではないか。




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