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さあみんなで立ち止まろう


(9)さあみんなで立ち止まろう

 わたしは最近つくづく「立ち止まる」ことって、大切だな、と思うのです。

 一概に「立ち止まる」といってもいろんな場面を想定できると思うのですが、私はそのすべてが大切だ、と感じております。信号が赤の時に立ち止まることも、散歩の途中で綺麗なお花を見つけて立ち止まったりすることも、みんなみんなです。
 その他にも、お年寄りが重い荷物をもっているのを見て立ち止まったり、いつも子どもの泣き声がするお宅の前で「大丈夫かな」と立ち止まったり。もしかしたら、「立ち止まるだけで何もしていないじゃん!」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、私は「立ち止まる」+αのことを期待しているのではありません。

 どうして「立ち止まる」ことが大切なのかと申しますと、「立ち止まって」いることは、素通りしたのではない、無視したわけではないからです。ただそれだけでその人の心は、立ち止まった一瞬でもその場所に置かれたのですから。どうです?大切でしょう?
 また、(ちょっと話のスケールが大きくなりますが)人生において「立ち止まる」ことも、なかなかできそうでできないことではないでしょうか?まあ、何かしらの壁にぶつかって、立ち止まらざるを得ないような状況になった人もたくさんいらっしゃると思うのですが。どうしても世間的には、人生スムーズに、前向きに、前向きな姿勢で……ということが良しとされていますよね。もちろん、ずっと後ろ向きな人生は疲れてしまうとは思いますが、その中間点の「立ち止まり」には、かなり重きを置いて良いポイントではないでしょうか?人間きっと、私のように真面目で頑張り屋さんの人は特に、前に進むことはけっこう得意なのですが(というより、進まなくてはいけない義務感も感じたりして…)意外と止まれないんです。止まるとムズムズしたりして。どうしても前へいきたくなる…どうですか?みなさんは?

 きっと、「そこ」なんだろうな、と最近強く思うのです。前しか見ないで歩いていたり、忙しかったり追い詰められてたりしてると、なかなか「そこ」を知らずに通り越してしまうような気がするのです。

 結局、今回りんご娘が皆様に伝えたかったのは、場所的にも、時間的にも、何事にも、「立ち止まって」ほしいということです。あの人の為に何かしてあげたい、けれどできない。そんな時は、立ち止まってあげて欲しいのです。もちろん、他人の為だけでなく、家族や自分に対しても、一緒に止まってあげたり、自ら止まったり。それだけで、きちんと心はそこに「とどまる」のだと思っています。

 またまたいつものように、かなり抽象的な文章になってしまいましたが、読んで下さった皆様の心に「とどまって」もらえれば、幸いでございます!



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