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親の悩み子の悩み


2003/07/23
■親の悩み子の悩み

時間の都合がつけば、誘われることもあって、子育てや教育に関するいろいろな会合に参加しています。時にはそれが行政の主催する会合であることもあります。その中でこの頃感じることは、民間にせよ行政のものにせよ、「このままではいけない」という思いが広く浸透しつつあるということです。

行政のやっていることに関しては、箱と中身が一致していない、意気込みは分からなくもないが対応がずれている、もし民間にそれだけの資金と人材をかしてくれるならそれの一桁大きいことをできるのに、などと感じることが多々ありました。しかし、それでも以前には見られなかった前向きさを感じ取ることは出来ました。でも、もっと民間の声や実践に学ぶべきことはいろいろありそうです。その殻を破れるかどうかが課題でしょう。

ちなみに、埼玉県の「スーパーサマースクール事業」が、800万円の予算で教員30名、ボランティア20名を擁しながら、対象とする不登校生が20名ではいかにもお粗末です。この評価はどうなされるのでしょう。気になるところです。これが単なるイベントに終わるなら、今後も継続する意味はどこにあるか。ここに参加する不登校生のうち何人が県教委の望む学校復帰に繋がるのでしょうか。もし意味があるとすれば、そこで得た成果を参加した教員一人ひとりが学校の現場でどう生かしていけるかということだと思います。税金の無駄遣いにならないことを望みたいものです。

このような行政側の動きに対して、民間の側も今までにない展開が見えてきています。それは教育と福祉の垣根を越えて協働しようという動きです。民間の教育運動としては地域によっては公立民営のチャータースクールを創ろうというものもありますが、そういう枠にとらわれず縦割り行政の壁を越えてまず民間が取り組もうということです。
6月16日にそのための集い「子育てに悩む親の集い」の第一回集会が持たれましたが、各種の報道機関が紹介してくれたこともあり、大きな反響を呼びました。

その第二回目の会合が6月21日の開かれました。集まったのは各種の団体、親の会、相談業務の人、親、そしてひきこもりの当人たちです。その中で取り上げられた話題の一つを紹介します。

不登校やひきこもりになりますと、本人が悩み苦しむのはもちろんですが、意外に見落とされているのは「親の悩み」なのです。当人と比べればそんなのは……と思うかもしれませんが、時には当人の同じくらい、あるいはそれ以上に悩んでいる場合も多いのです。平たく言えば、親が悩んでいるからこそ親が集いに参加しているとも言えるのです。

極端な例外はありますが、どの親もわが子の幸せを願わないはずはないのです。そう願い、これまで一生懸命、良かれと思って子育てをしてきたのです。それなのにわが子が不登校・ひきこもりとなって家にいる、この事実を前にして、これまでの子育てや親のあり方が根底から揺さぶられてしまうのです。親としての危機体験がそこにあります。いわば自分の人生が我が子によって全く否定されたような思いになったりもするのです。

第三者が子育ての関わり方や親の思い込み違いを指摘するのは、ある意味容易なことです。しかし、子育ての「間違った親」と「正しかった親」とにどんな根本的な違いがあるかと言えば、はっきりとは分からないのです。もしかすると不登校やひきこもりにならないで済んだかもしれないし、そうなっていない子の場合も何かのきっかけで不登校やひきこもりになっていたかもしれないのです。そのほとんどはその結果から判断したものに過ぎないのですから。

ただ、親が悩むことは子どもに決して良い影響を与えないこと、反省することは必要でしょうがこのことで自分を厳しく問い詰めすぎないこと、ただ我が子といるだけで無条件に幸せなんだという思いを伝えていくこと……そんな日々の関わりを大切にすることが大事なことではないかということだけは言えそうです。




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