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親が変われば子も変わる?


2003/06/27
■親が変われば子も変わる?

ひきこもりについて精神科医の口から、よく「親が変われば子どもも変わります」という類の発言を聞くことがある。ひきこもりの場合にはしばしば母子密着や共依存の関係が見られるので、なるほど尤もな意見だと思わないこともない。しかし、これほど人の人生を軽く見た物言いもないのではないか。こういう精神科医は専門性には長けていても、現実の人生を知らないと自ら告白しているに等しい。

「あなた、生き方を変えなさい」と言われて、「はい、そうします」と簡単に変えられるほど、人の生き様は軽いものではない。特にひきこもりの若者たちは成人がほとんどで、親の場合には高齢化している割合も高い。50歳なら50年の、60歳なら60年の長らく積み重ねてきた人生の年輪の重みというものがあるはずだ。それを「あなたの生き方は間違っていた」と簡単に否定できるものだろうか。そして、「では、今日から変えます」と言って変えられるものだろうか。人生の完成期に近づいたときに、「あなたは変わらなければならない」と言われることの戸惑いの大きさと無残な心の内を想像してみるといい。

たとえ、それまでの子どもの接し方に問題はあったとしても、一人一人の誠実な生き方は尊重されるべきであり、人に外れた生き方をして来たのではない限り、考え方や接し方の修正は必要だとしても、そのことをもってその生き方を否定されるいわれはない。まして、そのように断罪する権利は誰にもない。

ひきこもりの親の会に参加すると、一様に自信をなくした親の顔に出会う。そして、いろいろ話す中で、「親に変われと言ってもなあ。この年になったらもう変われないよ」という呟きも聞こえてくる。そこに参加している親の人たちは自分たち親の力だけではどうしようもなくなり、行政の支援を仰ぐなど何とか解決の方途はないものかと困り果てた末にやってきた人たちが多いが、そのほとんどは真面目で実直な人たちなのである。社会や組織の中で重要な地位についていたり、功成り遂げた人たちも多い。もし子どもが「普通」であったなら、余生を楽しむ年齢に近づいた人たちもいる。そういう人たちに「あなたは間違っていた」と言えるのだろうか。こういう人たちには、いろいろ悩みはあったとしても、残りの人生を失意のうちに終えて欲しいとは思わない。むしろ、心豊かな老後を送って欲しいと思う。

こういう人たちに「変われ」と要求することは、結局のところ解決の展望はないと言うに等しい場合もあるのだ。そういう人たちにとってはとても残酷な言い方であるように思う。

では、親が変わる以外にひきこもりの人たちを立ち直らせる方途がないのかと言えば、決してそうではない。親の影響力は確かに大きく、親が変わることは問題解決の近道の一つではあるが、子どもはもはや未成年ではない。本来であれば親から独立した社会人として自分の考えと行動に責任を持つべき年齢なのだ。それが現実的には不可能だとしても、プライドとしてはそういう気持ちを持っている。だから、親が変わったところで本人が容易に変わらない場合もまた多いのである。ひきこもりの問題はそんなに単純ではない。ではどうするか。それは、親がどうだからという関わり方ではない別のアプローチをすることである。端的に言えば、家族ではない第三者が親を飛び越えて直接本人と関わる方が有効だということである。

親には親の家族会があり、親はそこで自分たちと同じくいろいろな悩みを抱えた親たちと出会い、癒され、そして学び合う。今までの子育てにどんな問題があったのか、今後どうするのが望ましいのか、どこに相談すればいいのか……そういうことを知り、学ぶことができる。だが、それはやはり親としての学びであり、ひきこもりの当人にとっての学びの場ではない。そこにひきこもりの我が子を連れて来て一緒に学ぼうとしている人たちもいるが、時には親たちの苦悩している姿を再確認して一層心理的圧迫を受けてしまう場合もないわけではあるまい。

そういう場ではなく、当人には当人たちが集う場が必要なのである。親の思惑に捉われず、ありのままの自分が受け入れられ、安心して自分が出せ、仲間と交流し、併せて社会と抵抗なく繋がっていける学びや経験を得られる、そういう場が必要なのである。ひきこもりの若者の中には親との関係がこじれて、親と生活していること自体が自由に気持ちを表出したり行動することの妨げとなっていることもある。そういう場合にはなおのこと親との距離をとる必要がある。

そうするならば、たとえ親の変化は期待できなくても、子どもはそれに関わりなく自らの気持ちによって行動することが出来るようになる。その場合、精神科医の言うように親の変化があればより望ましいが、それは必ずしも絶対条件ではなくなる。親は親としての学びをしてもらえばいいし、子どもには子どもを主体とした別の関わりが必要なのだ。そういう関わりを通じて子自身が変わることによって、また家族のありようも変化することができるのだ。だから、「親が変われば子も変わる」という命題は、一つの方法として考えればいいだろう。現実に親の変化を待たずしてひきこもりを脱した人たちがいるのである。その時、初めて親とのあり方も相対化して考えられるようになる。そういう若者の1人は「親は親自身で変わって欲しい」と言っている。




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