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教員と親との協力について


2003/06/21
■教員と親との協力について

今日は教職員と親が協働する登校拒否・不登校問題連絡準備会(第3回)という会合に参加して来ました。不登校にもいろいろあるように、こういう会にもいろいろなタイプの会があります。この会の特徴は教職員組合との繋がりが強く、この会を代表する人たちもまた教員出身の人、つまり退職した教員がやっているということです。ですから、当然のごとく会の規約には「学校・教員と敵対しない」という一文が入っています。こういう親の会にはどちらかと言うと学校や教員と敵対関係にあるところが多いのですが、当然こういう会があっていいだろうと思います。

会がそういう性格ですから、話の内容は他の会と同じく我が子の不登校の問題や進学してからの様子などになるわけですが、教師や学校に対する批判がましい物言いがどこにもありません。むしろ教員と不登校生の親との間に和気藹々とした雰囲気さえ漂っています。いわば教員とPTAの取り巻き役員との間の関係の延長のような感じさえします。でも、その人たちは決して軽い不登校の子どもの親ではないのです。「あれ? これ本当に不登校の親たちの集まりなの?」という感じです。

確かに、ここの親の人たちは無闇に学校が悪い、教師が悪いと叫ぶことの無益さを知った人たちのようです。それよりは子どもの思いを理解し、その子なりの歩み方を支援することの方が大事と悟ったのでしょう。これは一つの大きな前進だと思います。考えてみれば、教師と親とは本来子どもを間にして協力し合わなければならない関係にのはずです。今までの対立する関係こそ不幸なあり方であったわけです。

しかし、それにも関わらず、そこに何か言いようのないもどかしさを覚える自分がいました。現にただ学校に行けなくなったというだけで方向舵を失った舟のようにどのように生きたらいいか自信をなくしてしいる子どもが間にいるにです。その原因がどこにあるにせよ、不登校という出来事は先生が第一に責任を持つべき学校という現場で起きていることなのです。なのにその事実さえも笑いで包み、親は先生の言葉に頷き、先生は教育の専門家として正しい対応を教えようとしているかのようです。まるでシステムに問題があり、自分の側に非はないかのように。

確かに昨今、家庭における教育力の低下には目を覆いたくなるような事例にもしばしば出会います。しかし、子どもが生きにくくなっているのはそれだけではないはずです。そのことに対する教員の側の理解はどうなっているのでしょうか。中には教員が原因で学校に行けなくなったという子どもたちも少なからずいるのです。

教員と親との連携を模索するのは大いに必要なことですが、そのことを曖昧にしたままでは、結局子どもは救われないのではないかという感じがしてなりません。




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