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教育バウチャー制度について

2004年12月 「教育バウチャー制度について」考える

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□ 教育バウチャー制度について 
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 最近あちこちで「バウチャー制度」とか「バウチャー方式」という言葉を耳にするようになった。とくに、保育や介護など日本の社会福祉制度のあり方を問うときに、バウチャー制度といったものが新しい考え方として紹介されている。それではこのバウチャー方式とは一体どういったものなのかここでは教育との関連において、特に不登校との関連で考えてみたい。

バウチャー(voucher)とは、利用券や引換券を意味する英語であり、個人を対象とする使途制限のある補助金の一種である。具体的には、前もってバウチャーを配られていた利用者はそれと引き替えにサービス提供者と契約を結び、サービスを受けることになる。現在では、保育や教育、介護サービスの利用場面におけるバウチャー方式の導入が提案されている。

 もともとバウチャーのアイデアは19 世紀中頃のフランスに遡るとされるが、学校教育機関の規制緩和に関してはアメリカの経済学者であるミルトン・フリードマンがその著書『選択の自由』の中で提唱したものを嚆矢とするようである。現在の日本の規制緩和の考え方は、このフリードマンの思想を全面的に取り入れた市場原理至上主義に基づいている。だから、規制緩和と並んでバウチャーの導入が論議されるのは自然な流れである。

アメリカではミルウォーキーやクリーブランドといった都市で学校バウチャーが導入され、スウェーデンでは1993年に国家規模で義務教育段階に学校選択の方法としてバウチャーが導入された。イギリスでは保育に利用されたことがあるという。

教育バウチャーの利点はなにか。バウチャー方式であればどの機関で教育を受けるかという選択の幅が広がるし、もしサービスが悪ければ、サービス提供者の切り替えも容易となる。つまり、利用者の教育の選択権が確保でき、競争によってサービスも良くなると考えられる。これに政府や自治体が認定した機関でしか利用できず、必要性を認められた個人だけに支給されるという制限を加えることもでき、その意味で、我が国で導入されたことのある「地域振興券」とは大きく異なるものである。
 しかし、自由な選択が誰にでも保障されるかというとそうとも言えない。それにサービスの提供者がサービスの質を保つために利用者を選ぶということも考えられるし、地域によっては選択権の不平等を生じることも考えられる。また、教育上の問題が生じた場合に選択の自由が逆に選択した利用者の責任として処理されてしまう問題も考えられる。

 現実には、学校選択性の拡大、中高一貫校の設立、飛び級制度の導入、私立学校制への経済的支援などの教育の動きがあり、小中高生に広がる不登校・引きこもりへの対応としてはフリースクール等における予防的措置の問題もある。とにかく、今までの教育の機会均等の原則に加えて、教育の自由をどう確保するかが大きな問題となっている。特に学校に籍はあるものの登校しなくなったことで国や自治体の経済的支援を一切受けられなくなった不登校や引きこもりの児童・生徒への教育バウチャーの導入は急務ではあるまいか。

 教育にバウチャー制度を導入することにより、受給者は教育機関を自主的に選択し最も相応しいサービスを入手することができる。さらに、供給者間での競争を活発化させ、より良い教育の発想や資質の向上を促すことも考えられる。このような「選択」と「競争」の導入こそ、バウチャー制度採用の基本的な目的なのである。改革する場合にいつもコストの問題が付いて回るが、「不登校生に教育バウチャーの交付を!」という場合、新たな教育費用は一銭もかからないのである。なぜなら、不登校生のための教育費用は、何ら活用されずに学校に回っている費用を本人かその保護者に回せばいいだけのことなのだから。これを行わないということは、教育の面子をどこで保とうとしているかの問題となり、つまるところ、「教育は誰のためにあるのか」という問題に行き着くのだ。公共的な政策を優先しない分野ではバウチャー制度がかえって有害な働きをする場合もあるが、ことは公教育から外れた子ども達の問題なのである。行政が消費の外部性の問題として補助を必要とする場合、民間供給者への直接補助(機関補助)という手段もあるが、教育の選択と自由を保障するという見地からしても、教育バウチャーの導入はより大きな可能性を秘めていると言える。

平成13年7月6日付けの内閣府政策統括官の「政策効果分析レポートNo.8 バウチャーについて−その概念と諸外国の経験」にあるように、バウチャーに関しては「世界では多くの先行事例があり、その経験からから多くを学ぶことができる」のであり、もはや「よく知らない」では通らないだろう。
 なお、今回の論考は上記のレポートをもとに、その他多くの文献を参考にさせていただいた。この場を借りてお礼いたします。
 (馬場)

 ●PS1
  現在、経済の階層化と連動する教育の階層化も問題視されているが、不登校の場合は純粋に子どもの教育権の問題であり親の経済力とは直接関係ない。子どもは親の経済力の差で不登校になるわけではないのだ。だから、不登校生のいる家庭には経済的にゆとりのあるところもあれば全くゆとりのないところもある。現実には生活保護の家庭の子でも不登校になっているのである。だから、フリースクールは来たい人は誰でも来れる学びと活動の場であり、経済的な区別はしていない。ところが実際には、フリースクールの門を叩く前に自己規定している家庭が多いのである。教育を受ける権利どころか選択する自由さえ行使できない状態に置かれている。

 ●PS2
  「教育バウチャー」については、2001年2月29日にPHP総合研究所のプロジェクトチーム(主査=加藤寛・千葉商科大学長)が「新・教育基本法私案」を発表した中で、「教育における家庭の位置付けを明確化」し、「義務教育等の授業料はバウチャー制度によるとしている」「またバウチャー制度導入で特段大きな財政負担は生じないとの見通しだ。」と述べ、平成16年4月27日の文教科学委員会では西岡武夫氏がやはりバウチャー制の導入について質問している(「オレンジ通信」から)し、最近では、反町勝夫(株式会社東京リーガルマインド代表取締役社長)氏が、「また教育格差については、低所得者やニート、中退者や不登校者にバウチャーを与えてはどうか?」と発言している。

  また、平成13年3月28日開催の彩の国教育改革会議の中でも既に教育バウチャーが議論に上り、ある教育委員が次のような意見を述べている。「アメリカで理論としては構築されているバウチャー制の導入を提案したい。学校教育に支出する公費の流れを逆流させ、学齢の子どもや家庭に直接教育費を交付して、学習者と学校の主体性を取り戻したい。」
  また、平成13年7月6日には、内閣府政策統括官(経済財政−景気判断・政策分析担当)が「バウチャーについてーその概念と諸外国の経験」と題するレポートをまとめている。

  このように、「教育バウチャー」の話題は、今や広く論議されるようになっている。2年ほど前、あるテレビ局から「教育バウチャー」について文科省の役人と話してみないか?という提案を受けたことがあったが、その頃はまだ日本で教育バウチャーの話はアメリカのブッシュ政権との絡みで論じられるだけで、純粋に教育問題としては取り上げられていなかった。だから、提案は面白かったけれど、時期尚早としてお断りしたことがあった。しかし、その後も子どもの教育を取り巻く環境は悪化の一途をたどり、改めて教育バウチャーの導入の必要性を強く感じている。特に、日本の教育の事情を考えた場合、学校教育から離れた不登校や引きこもりの子どもたち対策の重要な方法となり得るのではないかと考えている。



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