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教育公費は学校ではなく家庭へ


2002/12/07
■教育公費は学校ではなく家庭へ  〜 教育改革の欠かせない側面 〜

◆毎日が師走の先生方

 週五日制の新学習指導要領が実施されるようになってから、学校の先生方が激務で大変な状態になっているという。埼玉県教職員組合(埼教組)のパンフ「だから先生やめないで やめたくなったときに読むパンフ」には、そんな先生方の悲鳴が載っている。子どもの問題行動、授業崩壊、先生方の精神疾患や過労死の不安…などなど。
 また、昨年九月、国立教育政策研究所がまとめた「学校・学級経営の実態に関する調査報告書」によると、小学校の教員の学校での仕事時間は九時間四十二分、自宅での仕事一時間十七分。これに四月から学校完全五日制が実施されるようになった結果、平日の授業が増えただげでなく、授業準備や子どもに接する時間が削られることにもなったという。

◆税金で保証された学校経営

 さても、学校の先生にとっては「毎日が師走」とも言うべき大変な時代になったものだが、ただ、民間の立場から教育に携わる者の立場からすれば、それでも学校の先生は恵まれた立場にいらっしゃると思わざるを得ない。「毎日が師走」ということは、民間の立場から教育に携わる者には当たり前のことであり、いわば24時間が仕事の状態である。そういう中で、半ばボランティアのような関わりも含めて、学級経営ならぬスクールの本当の経営も考えていかなければならない。こういうフリースクールがなくてはならぬ存在になってはいても、その活動や経営のために国の財政的支援がなされるわけではない。少なくとも税金で学校経営や教師の生活が保証されている限りにおいて、そういう民間の教育機関のような気苦労からは解放されているわけである。

◆教育はタダではできない

 考えてみれば、公的機関か民間の機関かを問わず、子どもの教育にはお金がかかっているわけだが、学校の先生にも生徒の保護者にもあまりそういう意識はない。ただ、民間には余計なお金がかかると思っているだけである。中には、民間は高い金をとって経営している、というトンチンカンな批判さえある。保護者の中には、民間の機関に相談等に訪れながら、それがタダであるような錯覚さえ持っている方も少なくない。教育はどこでもタダで受けられるものというおめでたい考えが教育界の根底にあるのだろう。だから、学校で子どもに教育を受けさせてもらっていると保護者は考え、学校の先生は生徒たちに教育を受けさせてやっているという発想からなかなか自由になれないでいる。
 だが、わが子が学校に通うために一体どれだけの費用が税金で賄われているかを一度は考えてみた方がいい。たとえ保護者が直接教育費を学校に納めなくとも、一人ひとりの国民から徴収した税金の中から多額のお金が学校で使われているのである。校舎の建設・設備の費用、運営費、教員の給与などの人件費等など、すべては国民の血税なのである。

◆教育バウチャーを各家庭に

 だが、教育の本来の趣旨からして、教育費としての税金は学校に回るのではなく、教育バウチャーのような形で子どものいる各家庭に渡るべきだ。そうすれば、先生の側にも保護者の側にも子どもの教育に対する明確な責任の意識が生まれるようになるし、互いにもっと協力しあえる関係も築けるようになるのではないか。学校選択制が広まりつつある現在、そのバウチャーをどこの学校や教育機関で使うかの選択も認めれば、各家庭の教育への意識も一層高まるはずだ。教育はすべて学校に任せ、先生だけが奔走すればいいという時代では最早ない。そういう意味でも、教育公費の使途まで含めた本当の意味での教育の改革が求められているのだ。




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