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子育てに悩む親の集いから


2003/06/15
■子育てに悩む親の集いから

2003年6月15日(日)、埼玉県の志木市のふれあいプラザにおいて「子育てに悩む親の集い」が開催された。目的は(1)団体のネットワーク化(2)子育てになやむ親たちと一緒に考える場所づくり。30近くの団体や個人を含めて県の内外から173人の参加者があった。県の職員や議員などの姿も見られた。これだけ多くの団体が子育て問題を中心に集うのは最近はあまり見られない。それだけ子育てで悩んでいる家庭が依然として多いということだ。

一部は参加団体からの報告、二部は自由なトークという形で進められた。話題の中心は障害児や不登校・ひきこもりの問題。就学時検診での本人や家族の意向を無視した機械的な振り分けなどの行政の対応への不満、障害のある子を抱えての不安や悩み、親としての心構えなどが話された。ただ、参加者が多い割には一般参加者からの発言は少なかった。

今回の集いは「はじめの一歩」ということで、今後も継続していく予定だ。

第一部の各団体の報告から主要なものを拾ってみる。

▼「富士見市の相談室は養護学校の中にある。」「幼稚園・保育園から小学校に連絡がいっていて、就学前に障害児と健常児を分けている。」「みんなちがって、みんないい。バリアフリーにするためにやっていこう」
▼「県内で障害児3000名が普通学級に通っている」「判定に惑わされず、お母さんの判断が正しいと思うこと」「違いを認めて助け合うことが人権教育だ」「親の会でみんなといることが理解の第一歩」
▼「今の制度の枠で考えていくから悩む」「先生も悩んでいる。垣根を取り払って、医療・学校・家庭が連携して初めてできる」「この社会の中で1人でも多くの理解者を得ることを目指して立ち上げた」
▼「不登校の親の会に出たのが最初だったが、ADHDやLDへの理解はなかった。しかし、その親の半分がうちの子に当てはまると言った」「幼年期から青年期にかけてに一貫した支援をしていきたい」
▼「子どもをそのまま受け入れるしかない」
▼「わが子が不登校になった時、母親としての自分が否定された思いになって崩れそうになった」「学校に行かないと豊かに生きていけないと狭く考えていた」「親の会で話して楽になった」「親が元気になる活動をしていこう」
▼「初め不登校の会として始めたが、来たい人はどなたでもという形で、今は重度の障害のある子も来ている」「年齢の上がった子のためのひきこもりの会もやっている」
▼「社会的ひきこもりの会をやっている」「自分も不登校を体験したが、社会全体のサポートで救われた」
▼「週に2回、自主夜間中学をマンツーマンで、すべてボランティアでやっている。10代から70代くらいまでいる。不登校の子もいるが、いきなり学校へ行かせるのは無理。ひきこもりの人たちにも手伝ってもらっている。」「川口市では公民館を借りるのにもお金がいる。」
▼「教育・子育ては時間で切れない。24時間駆け込み寺になっている。」「初めは地元で小さくやりたいと思っていた。生活経験が大事だ。3〜4年前からは不登校の子も来ている。いろんなタイプの不登校がいる。学校で教師に傷つけられて不登校になっていく子もいる。」
▼「不登校の子の居場所が欲しいということから始めた。」「不登校は大人の問題だ。」「子どもにはいろんな育ちがあっていい。」

第二部のフリートークは、参加者全員が円陣を組み自由に質疑応答する形で行われた。

▼「お子さんの介助の仕事をしているが、どのように支援したらいいのか」
▼「子どもたちに関わる中で、専門的なサポートを感じている」
▼「特別な支援の仕事をしていたが、担任が出来ないことを支援員の報告で親は様子を知ることができる」
▼「小3の男児の母親。就学時検診では引っかからなかったが、落ち着きがなくLD、ADHDと診断された。友達との関わりを求めている。今、普通学級に通っているが、校長や担任からはこれ以上面倒を見ることは出来ないと言われている。じゃあ、特殊学級に行かせればいいんですかと反論した。」 ▼「子どもたちの進路は親が決めることだ。学校教育とは何かということになるが、今、具体的にどうするかが大事。」
▼「わが子はLDのボーダー。普通学級に通っていて二次障害が出てきた。それが解消したのは特殊学級に行ったこと。通級指導やYMCAの課題を家庭でいかに行うか、親として何が出来るかを考えることが大事だ。段々とアンバランスのまとまりが出てきた。
▼千葉県にはADHDサポートネットワークがあり、親も行政も関わり、学校の中でやっていけるようになっている。トレーニングを積めばスムーズにいくようになる。」 ▼「先生がもう少しやってくれればと言うが、先生方も対応が分からず悩んでいる。今、分からないから人のせいにしがちなところがある。」
▼「うちの子は学習障害で学校に行かなくなった。」
▼「自分もかつて不登校だった。当時は怠け病と言われた。不登校には段階がある。休みたい時期もある。」
▼「通信制サポート校に10人ほど通っている。ただ、高卒資格だけのためっていうには悲しいよねと言っている。職場体験など外の世界を知ることが大事。アルバイトも勧めている。」
▼「親父の会をやっている。親の会の代表はほとんどお母さん。どうしてもお父さんの協力が必要。お父さんが出ると解決が早い。」
▼「ひきこもりの当事者。引きこもりの本人は自分の心の中が良く分からない。時間を与えられることによってアイデンティテイを得て動き出せるようになる。恋愛をすると動き出せるきっかけになる。モチベーションが大事。待つという姿勢、楽観性も大事。」
▼「中卒後、どこに居場所があるか。通信制ではやり遂げるのが大変。養護学校では高校まで行ける。40代で不登校の人もいるが、果たしてその人に勉強するところがあったか。もう少し早く勉強できたら。」
▼「わが子に軽度の学習障害があり、今までどこに相談に行ったらいいのか分からなかった。治す方法はないと言う。今どうして、将来どうしたらいいのか分からない。」
▼「知的障害は治らない。子どもは発達期だから、質的には20歳前後で終わる。学校の役割だが普通学級では難しい。先生がもっと勉強しなければ。」
▼「教育と福祉はなかなか繋がらない。管理する側からの発想だ。これからは連携・交流の時代だ。」
▼「親は完ぺきか。親は親になっていくもの。自分育てをすることが大事。」

※今回の集いの参加者の抱える問題は一様ではない。しかし、取り敢えずは広く繋がり合い、語り合うことに意義があった。集いのサブタイトルに「緩やかなる連携・はじめのいっぽ」とあるように、これは子どもの側に立つ市民による子育て・教育の連携・連帯の試みの第一歩に過ぎないが、大きな一歩であることに変わりはない。今後、これをどう発展させて行くのか、その動向に注目したい。




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