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心を打つ皇后のスピーチ


2002年10月10日
心を打つ皇后のスピーチ

批判的な言葉や非難の言葉には、ちょっと新聞やテレビに目をやるだけでもあまた触れることができますが、近年人の心を打つ言葉に出会うことがだんだん難しくなってきているように感じます。それだけ世の中が荒んできているということなのでしょうか。
そういう中で、最近の新聞にふと目をやり、心を打つ言葉に浴することができました。それは、スイス・バーゼルで開かれた国際児童図書評議会(IBBY)創立50周年記念大会で、皇后が行ったスピーチの言葉です。

この中で皇后はご自身が本から受けた恩恵を語り、子ども達と本との出会いの願いについて語り、そして、こう言っています。
「もしかしたら、私は私の中に今もすむ、小さな女の子に誘われてここに来たのかもしれません。」
この「小さな女の子」とは、本との出合いに感動し、心を開かれた皇后自身に違いありません。

「私たちはこの子どもたちの上にただ涙をおとし、彼らを可哀想な子どもとしてのみ捉えてはならないでしょう。多くの悲しみや苦しみを知り、これを生き延びて来た子どもたちが、彼らの明日の社会を、新たな叡智をもって導くことに希望をかけたいと思います。」

「未来に羽ばたこうとしている子どもの上に、ただ不安で心弱い母の影を落としてはならない、その子どもの未来は、あらゆる可能性を含んでいるのだから、と遠くから語りかけてくれた詩人の言葉」

子どもと本との出会いの意味について、これほど深い感動を簡潔に感性豊かに語った言葉にはあまりお目にかかれません。まさに皇后自身の中に子どもとの深い感動的な出会いがなければ出て来ない言葉でしょう。

また、子どもと本との出合いだけでなく、子どもを育てた母親の立場からの世界の平和への願いも語られている。
「自分の腕の中の小さな生命は、誰かから預けられた大切な宝のように思われ、私はその頃、子どもの生命に対する畏敬と、子どもの生命を預かる責任に対する恐れとを、同時に抱いていたのだと思います。」

これはやはり、子どもを胸に抱く母親にして最も深く感じとられる思いなのではないでしょうか。
近年、女性の社会進出は目覚しく、地域社会での活動においてもその勢いのよさは男性を圧倒している感じさえしています。しかし、ともすると「知」と「理」に勝り、女性特有の感性の柔らかさが失われているように見え、少し残念に思うことがあります。こんなことを言うとジェンダーの問題を云々する方がいますが、それとは違うのだと私は思っています。

また、このような文章を書くと、皇室の問題や天皇制の問題についてどう考えているのか、ということを言う方がいるかもしれませんが、そういうものとは切り離して考えたいと思います。システムや思想の問題とは別に人を見る見方があると私は考えています。




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