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子どもとあそび


82 読んでみませんか
『子どもとあそび』 仙田 満 著 岩波新書(七〇〇円+税)

「あそび」に関する書物は多い。理論的なものから、障害児や子どもの自然体験や街遊びに関するものまで、その裾野はとても広い。誰もが遊びの重要性には気が付いている。だが、それにも拘らず、誰も真剣に取り組もうとしてこなかったのもこの遊びである。

特に学校教育の場ではそうであった。遊びは子どもの教育にとっては邪魔なものか対立するものという扱いさえ受けてきたのである。今話題の総合学習においてさえ「みんなで遊んじゃえH」という発想は、学校現場からは生まれて来そうにない。そもそも遊びをも「評価」の対象にしようというけちな考えは一体どこから出てくるのか。

だから、どんな誤解を受けようとも、遊びの重要性を声を大にして訴え続けなければならないと思っている。本書の著者が労働基準法ならぬ「遊び基準法」なるものを提唱しているのも同じ理由からだ。

本書の著者はサブタイトルに「環境建築家の眼」とあるように、本業は建築家である。建築家として様々な都市環境づくり、特に自然公園づくりなど子どもを取り巻く環境づくりに関わってきた。そして、遊びが豊富であった自分の子ども時代の原風景や現代の子どもたちを取り巻く遊びの空間や施設を考察し、海外にも実際に足を運んで子どもたちの環境に眼を向けている。この子どもたちの施設や環境を作り上げるという立場からの視点は、子どもたちと遊びの問題に今までにはない具体性と視野の広がりをもたらしている。

今までの遊びに関する論は、学者による一種文化論的哲学的考察か、現場で子どもたちの活動に携わる人たちの遊びのハウツーに関するものが主流で、遊びと子どもの関係についても、幼児や障害児等に対する効用を説くものが大勢を占めていたように思う。もっと子どもたち全体の生きること生活すること、学ぶこと成長することとを大きな視野に入れた具体性に富む遊びの問題を論じたものは寡聞にしてあまり眼にすることはなかった。その意味でも、子どもたちの遊ぶ環境作りを設計する立場からの遊びの問題の提起は、控えめなサブタイトルを超えて、今までにない説得力をもたらしている。

しかも、ここに書かれているのは、決して単なる「建築家から見た子どもとあそびに関する一考察」の類ではないということである。専門家の偏狭な論理に陥ることなく、R・カイヨワの「めまい」の論考など遊びに関する原理的なものから具体的な調査まで広い視野と深い洞察を内包しながらも、平易な落ち着いた口調で語られている。

だが、いやそれだからと言った方がいいだろうか、子どもの育ちに対する危機を強く感ずるあまりか、その穏やかな論調の下から、その内圧に耐え切れなくなった間歇泉の噴出のように、不意に熱い生の感情が激しく書き付けられることもある。例えば、
「総理大臣、あなたの国の子どもたちはいま危機に瀕しています。心のストリート・チルドレンになっているのです。手を差しのべて下さい。創造力の枯渇した子どもたちに未来はありません。」

 「大げさに言わなければ、だれも気がついてくれない」と著者は言う。私もそう思う。本当にもう後はないのに。「角を矯めて牛を殺す」 h もういい加減、そんな大人の愚は終わりにしたいのだ。(A)



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