子どものきもちをわかろうとして
(2)子どものきもちをわかろうとして
私が相談員になって気がついたことがあります。それは「子どもからの相談を受けないこと」です。相談室全体でみれば全くない、というわけではありませんが、経験の浅い私などは、全くありません。(これでいいのか!)
学生の頃は、例えば児童相談所や家庭児童相談室などで働くということは、子どもに寄り添った援助が直接的にできる!とばかり思っていました。(私だけなのか?)
今、相談をされる方の中で一番多いのは、やはり「親」からのものです。それも「母親」が中心です。 親はこのような相談機関に話をしたりするのに、なぜ子どもはしてこないのだろうか……? 当然ながら、こういった機関があることを知らない、ということが考えられます。しかし以前、子どもの声を聞く専門の相談機関ができたときに、学校でその電話番号とご案内が配られたことがありました。話によると、できてすぐには結構電話がかかってきたらしいのですが、しだいに件数が減り……。あまり定着はしない様子。
なぜだろう? いつでも話を聞いてもらえるならよいではないか? と大人になった私は考える。そして、子どもに戻って考える。そうか、話をする相手が「大人」だからなのかなあ、と。
「大人のきもち」は大人にしか分からない。なぜなら、子どもは大人になったことがないから。「子どものきもち」は子どもにしか分からない? でも大人だって昔は子どもだったのに。それなのに受話器越しの大人は言う、「どうして親の気持ちが分からないの?」「うちの子は、何を考えているのか分からないわ。」
相手の立場にたつ、というのは大変難しいものです。しかし難しいからといって、最初から放棄してしまうのは、なんとももったいない。とりあえず、努力することが必要なのだと思います。それをしないで「分からない」なんて言えません。いろいろやり方はあると思うんです。1日だけ、親が子どもの役で,子どもが親の役をしたり。(まるで演劇の世界のように)母親の幼い頃のアルバムをひらいてみたり……。とりあえず、「分かろうとする」ことなんでしょうね。
そういった訳で(どんな訳で?)少なくとも私は常に、子どものきもちを思い出す努力をしております。(決して子どもっぽい格好をするとか、子ども番組を見てるだけではありません!)例えば、道に咲いている花を見て「きれいだな」と感じたり、プレゼントをもらったら素直に「ありがとう」が言えたりすることとか。変にこころが慣れすぎて「麻痺」しないように、こころがけています。
だからこの文章を読んでいる子ども諸君!安心して電話してきてね!