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住基ネットの先にあるもの


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住基ネットの先にあるもの……「1984年」と現代社会

 8月から「住民基本台帳ネットワーク」、略称「住基ネット」がスタートした。
 住民基本台帳には氏名、生年月日、性別、住所など個人の13種類の情報が書かれていて、全国3241の市町村の役所が家族ごとに管理している。これに基づき、個人が住民票の発行等を受けることができる他、日本の人口動態や個人の選挙権の有無なども調べることができる。今回、住基ネットで専用の回線を使って全国の役所がやりとりするのはこのうち氏名、生年月日、性別、住所の4種類だ。このため、個人を区分するために一人ひとりに11桁の個人識別番号が付けられる。

 この住基ネットを使って役所がすることの出来る仕事は当面のところ年金の手続きや住民票のやり取りなど93種類と決められている。それ以外には利用させないための法律も出来た。しかし、すでに171種類の仕事が出来るよう法律の検討が行われている。これが出来れば、役所にとって大幅なコストダウンになるだけでなく、住民にとっても様々な便利な恩恵があるのだという。

 テレビ等が行う街角インタビューなどを見ると、一般には好意的に受け止められているらしい。しかし、一部には、自分の情報が盗まれ、悪用されるのではないか、という懸念の声も聞かれる。だが、どうもマスコミでは肝心のことが伝えられていないようだ。いや、伏せられているのかなとも思う。

 肝心のこととは何か。それは国家・権力が個人の情報を管理し、それをいかようにも利用できる環境が出来上がるということである。しかも、この住基ネットが単独で使用されるのならまだいいのだが、個人情報保護法案や有事法制、盗聴法案、報道規制法案、自衛隊法など様々な国民監視・規制の活動と連動して用いられるのではないかという懸念がとても強くあるのだ。国家権力が自己目的化し、個人を管理・規制し、強圧的な力によって監視下に置く時、一体誰がそれを阻止することが出来るのだろうか。そういう強い懸念が拭い去れない。これは日本の過去の歴史を振り返ってみれば、決して杞憂のことではなく、私達の親やその前の世代の人々の生きた社会の現実であったことがすぐに分かるはずだ。その時は、情報化による管理・監視というよりは、情報規制や報道管制、つまりは本当の情報を与えないことによる管理・監視ではあったが。それからまだ50数年しか経っていない。事実、現在も行政機関の情報公開を求めただけで、逆にその個人の思想信条・過去の行状まで徹底して調べられる事態が起きているのである。

 これは、情報化社会の時代に国家権力が行き着く一つの方向ではあっても、その先に個人にとってバラ色の社会が広がっているとはとても言い難い。何よりも問題なのは、個人が望んだことではなく、国家主導で一方的に推し進められたということだ。

 高度な情報管理社会においてどういうことが起きるか。このテーマは未来社会を描いたアメリカの映画にもたびたび登場する。全ての情報が国家に管理され、思想統制され、個人があたかも国家のロボットであるかのように管理されている。が、最後には、それに反旗を翻した人達が協力して人間社会を取り戻す。というような筋立てで描かれることが多い。
 そこはやはりアメリカの映画だ。あくまで「個」としての人間の自由意志に拠って立つアメリカ人の単純な楽観主義さえ見てとれる。裏返せば、絶えずそういう危機意識をもってアメリカの人達でさえ国家や権力を見ているということだろう。

 これらはアンチ・ユートピア小説と呼ばれる。その小説の基本的なプロットは理想社会に存在する矛盾を深刻に受け止めた内部や外部の人間の反乱という形を取る。このような系譜の小説を書き、近代社会や近代以後の社会に生じるであろう問題をいち早く考察し、警鐘を鳴らしていた人にジョージ・オーウェルがいる。彼の作品『動物農場』はソビエト社会主義の誕生の当初からその社会システムの内包する矛盾と腐敗、そして崩壊を予言的に描いたものであったが、それはその後、奇しくも現実のこととなり、ソビエト社会主義国家は崩壊する。
 そのオーウェルの別の作品に『1984年』というのがある。この作品の中で彼が描いた社会の様相は、20年ほどのずれはあるものの、今まさに私達の社会が突き進みつつある高度情報化管理社会そのものではないだろうか。

 “Big Brother Watches You.” 街のいたる所に、男の顔と共にこのスローガンが書かれたポスターが貼られている。偉大なる兄弟はあなたを見守っている。この社会ではあらゆる所に「テレスクリーン」が据え付けられ、常にBigBrotherの言葉が流れる。が、こちらの様子も画面を通してBig Brotherに見られている。これがオーウェルの描いた『1984年』の世界である。

(日本でも「人類みな兄弟」と唱える人がいた。だが、「そして自分は弟である」とは決して言わなかった。「そして、自分は兄である」ということは言わずもがななことであった。)

 1984年はおそらく1948年のアナグラムであり、直接的にはスターリン支配下のソビエト社会から想を得たものであろうが、オーウェルの眼はその時代性を超えて、現代の高度に情報化された社会をも照らし出しているようだ。いや、今こそその警告を考えてみなければならない時かもしれない。

 スペインのバルセロナ市の目抜き通りに、個人には向けないという条件付きで、犯罪防止を目的に市当局が監視カメラを設置したのは、2001年9月のこと。犯罪の多発に悩んでいた市民の間からは組織的な反対運動は起こらなかったが、不満の声がなかったわけではないという。で、不都合ならいつでも文句を言えるということだったらしい。因みにそこは、その名も『ジョージ・オーウェル広場』と呼ぶ。
 今、日本の社会では、盗聴法案にしても市民からの大きな反対の声が起こらなかった。渋谷等の街角に監視カメラがついていても、誰も関心を持とうともしない。物質的にある程度満たされていれば、市民の自由の規制に繋がることも「別に、いいじゃん」ということになるのだろうか。
 アメリカでも防犯用の人相スキャン装置付きの街頭監視カメラの導入が進みつつあり、ニューヨークやフロリダなどで抗議デモも起きているという。

 住基ネットの話題から逸れてしまったが、それらが全く無関係ということではないだろう。それらの一つひとつが次代の子ども達に残されていくのだ。最近、アメリカで世界のハッカー会議が開かれ、その席上、会の主催者が、日本の住基ネットワークのような方法を即刻やめないと危険極まりないことになる、と警告を発していた。
 豊かさ・便利さを追求するあまり、人が生きる上での基本原則を失っては何もならない。人々が今の「自由」を手に入れるまでどれほど多量の血を流してきたか…この原点を失ってはならない。

 アップルコンピューターがマッキントッシュの発表会でのパフォーマンスで、巨大なスクリーン上で演説するビッグブラザーに走り寄った一人の女性ランナーが、そのスクリーンをハンマーで叩き割るパフォーマンスを行ったという。それは、一人ひとりが情報の発信者となって、市民レベルでの新たな民主主義的ネットワークを構築することの必要性を訴えるものでもあった。アップルの面目躍如、矜持を示すものであろう。小さくとも市民に愛されるアップルならではのパフォーマンスである。


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