">
トップへ
トップへ
戻る
戻る


家永三郎さん、お疲れ様でした


2002年12月2日
家永三郎さん、お疲れ様でした−−家永さんの死を偲んで

家永三郎さんがお亡くなりになりました。 謹んでご冥福をお祈りいたします。

私が家永さんの存在を知ったのは、高校生の時でした。家永さんの教科書(三省堂)を使って日本史の勉強をしていた時家永さんの教科書裁判が始まったのです。受験には山川出版の方がいい、家永さんの教科書は受験には
向かない、といわれる中、私たちの学校では家永さんの「新日本史」を教材として使っていました。

丁度多感な年頃です。家永さんが教科書検定違憲の訴訟を起こしたということで興奮し検定でどのように直されたかという本まで買い、教科書の検定箇所を一つひとつ検定前の表現に直したり、削除箇所を付け加えたりしたものでした。それが私の歴史の勉強になりました。

それから以後、家永さんの裁判の行方には注目し続け、史実をどう表現するか、歴史をどう捉えどう考えるか、ということに大きな影響を与えたように思います。そして、立場が違い、考え方が違えば、その史実の捉え方、歴史観も全く違うようになることを考えたりもしました。

そういう個人的な思い入れもありますが、家永さんが教育とは何か学問とは何か、教育とは誰のためにあるべきなのか、ということに大きな足跡を残されたように思います。そこには、学者としての良心・誠実さというものも感じたものです。ご自分の生き様に深く根ざした学問研究の姿がそこにありました。今、こういう人が少なくなったように見えるのは寂しいことです。

日本の大学の質が低下したのは、何も大衆化だけのせいではないのかもしれません。



トップへ
トップへ
戻る
戻る