ひきこもりの青年と関わって


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ひきこもりの青年と関わって…具体的な関わりで立ち直る

I さんのお話から
 Iさんというフリーのジャーナリストの話である。彼は今まで政治であれ経済であれ、必要があればアメリカであろうと東南アジアであろうと飛んで行って取材をしてきたが、あるきっかけで教育の分野にも関心を持つようになった。特に「ひきこもり」の問題は彼の興味をに強く惹いた。

 ところが、いろいろ取材する中で、精神科医に掛かっていて良くなっているという患者さんがほとんどいないことに気がついたという。そこで、直接ひきこもりの人から話を聞くことでその実態を知りたいと思い、あるひきこもりの青年と親密に付き合うようになった。その青年というのは今まで13年間自宅にひきこもっていた青年であった。
 その青年はIさんと接触する中で逆にIさんの行動に関心を持つようになり、昨年、約1ヵ月半の間、Iさんはその青年を伴って一緒に東南アジアを旅行して歩くことになった。

 付き合ってみて気づいたことだが、その青年は言うことが会うたびに違っていた。しかし、そうやってじっくり付き合っているうちにやっと本音らしいことが出てくるようになった。それでも、違う本音が出てくることはよくあった。それは虚言癖というよりは、自分をきちんと説明した経験がないことによることもあるようだった。
 ひきこもりになると相談したくても相談する相手がなくて困っていることが多い。その結果、思っていることをうまく伝えられないということも起こってくる。しかし、そうやって長時間接する中でようやく相談したい本音が出てくるようになったという。

 今年になって、Iさんは一人のひきこもりの青年と沖縄に約1週間の旅行をしてきた。その青年というのは今年の1月まではどんな交通機関にも乗れない状態にあった。さらに浮遊感があり、家にいても家の2階にさえ上がれない状態の青年であった。しかし、そういう症状も互いにコミュニケーションをとる中で段々となくなっていったという。

 そういうことを見ていると、ひきこもりの場合、まず仕事が出来るか出来ないかということが話題にのぼることが多いが、自分らしく生きられているかどうかが大事なところではないかと思うようになった。人と交わる楽しさ、いろいろな世界を知る楽しさ、そういう体験をすることが大事なのだと。

 ひきこもりの人は前以ってきっちりきっちり決めないとやっていけないことが多い。ところが、Iさんがその青年と沖縄に行ったときには、それとは逆に何の予定も立てず、泊る宿は当日現地で決めるという自分流を通すことにした。きっちり予定を立てていなくても、直前のやりとりでも何とかなるんだということを青年に経験さえたいと思った。そして実際に、宿を決めたのは当日、現地において電話によってであった。
 また、泊るところを決めるときには、3つのタイプの宿を考えた。1つは個室でプライバシーの守られるところ。1つは共有スペースのいわゆる雑魚寝の宿。もう1つは個室と共有スペースのあるところである。その中でIさんが選んだのは第3のタイプである。なぜかというと、ひきこもりの人は普通の人と話がしたいという欲求が強い。だから、旅先ではなるべくいろいろな人と出会えるところがいいと考えたのである。
 それで、Iさんが宿泊先として実際に選んだのは離島にあるドミトリースタイル(相部屋)の民宿であった。その時、Iさんは急ぎの仕事があったので頃合を見て青年を残したまま個室にこもって原稿書きの仕事をした。ところが青年の方は若い人たちと一緒に深夜までわいわい話をしていたという。それが1つの転機になったのだろうか、4泊までは一緒に過ごしたが、残りは自分でやりたいと青年が言い出し、そこで彼との同行の旅は終わった。その後、その青年は残りの日程を自分で行動し、旅行の最後に落ち合うまで無事やり遂げたのだった。

 ひきこもりと言うと何も出来ないように考えるけれども、ある程度の目的が出来れば事もなくこなしてしまう人もいる。今回のようなケースも異文化・異空間に行くと、気持ちに余裕が生まれるからではないかと考えている。ところが、日本にいるとどうしてもギスギスしたものを感じてしまうのだ。
 「今まで電車にも乗れなかった青年が……」と思うかもしれないが、電車にも乗れなかったというのは、トライしてくれる人がいなかったこともあるだろう。彼の場合、家族やセラピストとは違う人間関係が立ち直るきっかけになっただと思う。そうIさんは語ってくれた。

 沖縄が外国かという意見もあるだろうが、感覚の上ではそう言っていいかもしれない。ここで言いたいのは実際に外国か否かということではなく、自分が解放される空間かどうかということが重要なのだろう。外国までとは言わなくても、ひきこもりの青年が今まで住んでいた地域から離れるだけで元気に振舞えるようになるということはよくあるケースである。

 中には明らかに病気であるというケースもあるが、ひきこもりの多くは自分の心を縛っているしがらみを解くことで意外に元気になれる場合もある。そういう意味では家に置いておいて何とかしようとばかり考えるのではなく、そこから意識的に離れてみることも効果的な方法かもしれない。

 それにしても、なぜ家庭や地域ではうまくいかないのか、そこを考察することがひきこもりの謎をとく鍵になるかもしれない。

 そういう観点からすれば、病理的な側面から考察したり、カウンセリングを行うことも必要であろうが、引きこもりの場合にはむしろソーシャルワーカー的な関わりの方が有効ではないかと思われる。今回Iさんの関わりが意味するものはその例証となるのではないだろうか。


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