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『ひきこもれ』を読んで


ひきこもりは「価値」を生み出す必要な時間……吉本 隆明 著 大和書房(1400円+税)

 「吉本隆明」という名を知っている若い人が今どれだけいるだろうか。吉本ばななのお父さんだと言えば分かってくれるだろうか。彼女は国語の教科書にも登場するし海外でいくつも翻訳されている。

 かつて小林秀雄が若者の「現在」であったとすれば、その一回り遅れの青年であった私の世代には吉本が青春の「現在」であった。久しぶりに彼の本を手にすると、懐かしくもかつての「現在」が蘇るのを感じる。そこに波乱にとんだ青春が詰まっている。

 実は、この『ニコラ』という雑誌の発想の根源には吉本隆明の個人雑誌『試行』がある。『試行』が権力に与せず市井に身を置きながら知識人や意識ある人々へ先鋭な思考を発信したとすれば、『ニコラ』は生活の現場に生きる衆生の声なき声を掘り起こし発信する教育雑誌であるとの大きな違いはある。

 その吉隆明の言説は老いて今なお健在である。それを確認しただけでも嬉しいことだ。
 しかし、そういう個人的なことは置いておくとしても、本書はやはりいろいろな人に読んでほしい。

 現在、不登校やひきこもりをマイナスの価値として、専門家も素人も引っ張り出すことに熱心だが、彼は事もなげに言う「ひきこもれ」と。自身もひきこもり傾向の人間で、矯正されることに「嫌だ嫌だと思いながらやってしまう悲しみを身につけただけで」性格は一向に変わらなかったという。そのようにひきこもることをマイナスに見るのではなく、プラスに見ることを提唱する。なぜなら「ひきこもりの十分な熟考や熟慮なしに成り立つ仕事や専門はただの一つもありはしない」と考えるからである。

 まわりからは一見無駄に見えても、ひきこもることによって「分断されない、ひとまとまりの時間」を持つことが必要だ。その時間こそ当人にとって「価値」を生む必要な時間なのだ。ひきこもるということは良い悪いの問題ではなく、性格や得意不得意の問題なのだという。そして、そういう「人間の性格は胎内で人間として身体の器官がそろって働くようになった胎児のころから一歳未満の乳児のころまでのあいだに、主に母親との関係で決まってしまう」と考えるようになったとも語っている。

 つまり、子どもの存在が100%母親に依存している時期、脳の形成や感覚器官の形成、性格の基本的傾向が出来上がるこの時期に、母親がどんな心の状態であったか。もし母親の気持ちが安定していなかったら、その存在は根底から脅かされる。

 だが吉本氏の言葉を誤解しないでほしいのは、これは母親の問題ではないということ。基本的に親が子どもにどう接してきたかの問題ではないということ。この問題は、母親が安心して暮らせない家庭や社会のあり方を含めての環境の問題なのである。

 この他、見出しだけを紹介すると「ひきこもりも不登校も病的な状態ではない」「『偽の厳粛さ』に耐えられない子どもが不登校になる」「学校なんかに期待する親は大きな間違いを犯している」「子どもの自殺は親の代理死である」「ひきこもっていることがマイナスにならない職業がいつか見つかる」など、傾聴すべき考えがいくつもある。

 ただ、一つ不満が残るとすれば、病的な場合「医者に任せるよりほかにない」「医者の領域の問題」と簡単に片付けている点だ。
 とにかく、一度は目を通してほしい本だ。ここから自分なりの別の道も見えてくるだろう。

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