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学校教育とボランティア


1999/10
■学校教育とボランティア

■「ボランティア」を強制すること

 最近、子どもの「意識改革のために」授業にボランティアを導入すべきだということが言われています。中には、「強制的に」ボランティアに参加させるという学校さえも現れてきているそうです。そして、その成果を内申書で評価しようというわけです。あるいは、内申書に代わる自己申告書でアピールできるという考えもあるようです。
 そこで、そもそもボランティアとはどういうものなのか、学校教育への導入についてどう思うか、教員や研究者を目指す学生の声を紹介します。

 ボランティアを授業に取り入れるのは良いことのように聞こえるけど、ボランティアをしたくない生徒にまで強制的にし向ける危険性もありますね。また、ボランティア活動を評価する制度にも問題があると思います。高校入試や大学入試でボランティア活動を評価の対象にする動きがあるけど、その目的のためにボランティアをする人たちが出てくるでしょう。これでは、ボランティアされる側も気持ちよくないですね。
 ボランティアというのは、自主的に、無報酬でやるものでしょ。これはそのボランティア精神に反するものだと思います。

 授業で取り入れて半ば強制的にさせるようにすれば、今までボランティアに対して食わず嫌いだった子どもがそれを好きになっていくということも考えられますね。小学校から定着させれば、ボランティアに対していやな感じを持つ子どもし減ると思います。

 だからと言って強制的にさせてよいということにはならないでしょ。僕もボランティアはとてもいいことだとは思いますよ。自分ではあんまりやったこと無いですけどね。ただ、強制的にさせることが果たしてボランティアと言えるんでしょうか? 辞書には「自ら進んで社会事業などに参加すること」とか書いてあるはずですが。

 勉強でもそうだけど、「数学」「英語」「理科」など、学校で半ば強制的にさせられたためいやな記憶しか持っていないという人も多いはず。ボランティアぐらい強制されずに参加したいものですね。

 日本人はボランティアというのを誤解しています。無報酬というのも誤解ですね。
 仕事は、基本的に、自分のために、自己実現のために行ない、その報酬で家族が生活するために行なうものですよね。ところが、ボランティアというのは、社会のために、特に身近な地域で行なうものだと思います。
 私の知人のアメリカ人のことですが、高校を卒業して大学に行くまでの間、小学校でボランティアで教師補助をしていました。学校から報酬をもらい、さらに父母からもチップをもらっていました。私はそれはアルバイトではないかと尋ねましたが、彼は、子どもたちを愛してるから、それを表現したのだから、これはボランティアだと言い、またそのための働きに報酬を得るのは当然だと言いました。
 スーパーや学校などにボランティア募集の掲示板があって、アルバイトやパートとは分けて掲示されて、ボランティアの報酬も明示されているんです。
 私は学校の授業としてさせるのはおかしいと思いますが、学校が紹介をするのはいいことだと思います。そして、そのために授業を免除したり単位に組み込んだりするのはよいことだと思います。動機が大切なのではないかと思います。

 えーと、どこかに「強制的にさせる」なんていう趣旨の文書はありましたっけ? 確か現行の学習指導要領に書かれているのは、ボランティアの経験を学校の判断により卒業単位に加えることができる…、というようなものだったと思うのですが……。
 小学校と中学校で、ボランティアに関しては触れられていなかったという気がするのですが…。
 ボランティアではなくて「奉仕活動」なんかにすると良いかもしれませんね。

 ボランティアは学校でも行なわれています。生徒会活動は典型的なボランティアですよ。
 私が高校生だった頃は、部が大会に臨む際に、生徒会主催の壮行会が講堂で催されました。応援団指揮のもと応援歌を歌い、送られる部の部長が抱負を述べると言うものでした。「今日は僕たちのためにこのような会を開いてくれまして、本当にありがとうございます」と感謝の言葉を述べていました。
 ボランティアを盛んにするのには、こういうことが最も効果的だと思います。部活動の顧問は教師によるボランティアでしょうか? 強制ボランティア? 一度尋ねて見ると良いでしょうね。
 海外の知人に「神風特攻隊はボランティアだっただろう?」と聞かれることがあります。私は戦没学生の手記を参考に、「マインドコントロールにかかっていて喜んで死んでいった者もいたし、疑問を感じつつも成り行きで拒否できない状況に追いこまれた者も結構いた」と答えました。
 ボランティアはあくまでボランティアで盛り上げるべきです。「意識改革のため」などと外力が加わってはその自由の精神が損なわれてしまいます。

     *     *     *

 日本で「ボランティア」というとき、それは無償で行う奉仕活動だと考えている場合が多いようです。しかし、ボランティアは必ずしも無償であることを意味しませんし、公的な社会奉仕活動に限らなくてもよいのではないでしょうか。かた苦しく考えたら、それはもうボランティアではないとも感じます。あくまでも自ら進んで行う「自発的な」活動であるはずです。まして、それが半ば「強制的」なものになると、もうボランティアの趣旨からは遠いものになってしまいます。

 また、ボランティア活動は人様のための活動であると同時に、「自分のための活動」でもあることが大切ではないでしょうか。そして、ボランティアは「やってあげる」活動ではなく、本質的に「させていただく」活動だと思います。
 日本には「情けは人のためならず」ということわざがありますが、ボランティア活動を受けた側が「ありがとう」と感謝するとともに、また、ボランティア活動を行った側も「させていただいてありがとう」という感謝と共にあるのが好ましいことだと思います。その結果として、その人が評価されるならば、それはそれで自然なことだと思います。
 だから、「してやる」という意識で関わること、半ば強制のもとに嫌々ながらやるということは、ボランティアの活動にとって決してプラスのものではなく、時には害にさえなります。

 一方、ボランティアの手助けを受ける側にも、ボランティアなんだから、タダでしてもらって当然、という意識を感じることがあります。たとえ、かかわる人がボランティアであっても、そこに見えないコストがかかっていること、その人の貴重な時間を自分のために割いていただいているという感謝の気持ちを絶えず持ち続けていてほしいと思います。
 人と人との関わり合い、これがボランティアの基本的な心構えではないでしょうか。

 日本人は欧米諸国に比べて格段にボランティア意識が低いように見えます。今、ボランティア活動の意義がようやく一般に認識され始めてきた段階にあります。したがって、ボランティアを教育に導入し、子どもたちを啓発していくことは大いに必要なことだと思います。しかし、そのためには、肩ひじ張らず、気軽に関わることのできる環境づくりが欠かせません。
 そのために、今後、学校教育が施設紹介や評価にとどまらず、意義ある活動としてどう取り組んでいくのか、子どもたちばかりでなく、啓発する教師の側のあり方も問われているように思います。



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