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部活の功罪を考える


1996/01
今、「部活の功と罪を考える」

■部活がらみの事件

 横浜市保土ヶ谷区の私立の明倫高校一年の女子生徒が八月二十七日、教室で自殺した事件の背後に、いじめと過酷な部活動があったことが明らかになった。女子生徒の場合、スポーツ特待生として入学金免除で入学した。部活の練習は厳しく、夏休み中の練習もほぼ連日、午後八時半から午後五時半頃まで、練習漬けの毎日だったという。女子生徒は、自殺する前に、「クラブをやめたい」と友人に漏らしていた。ところが、クラブをやめる場合、学校側が正当な理由と認めなければ、特典で免除された入学金を返済しなければならなかった。先輩のねたみといじめ、練習のきつさ、やめたくてもやめられない特待生としての重圧……それらが相乗的に働き、女子生徒を死に追いやったと言えそうだ。
 このような事件に限らず、今、学校で常軌を逸した部活動が問題になっている事例は多い。本来楽しく喜びであるはずの部活が、その目的から外れて、しごき、体罰、いじめ、時代錯誤の精神主義、学校の名誉意識、勝利万能主義、スポーツ医学を考慮しない過酷な長時間練習、さらに顧問の指導者としての自己満足などによって、子どもたちは心身の疲労を蓄積し、ゆとりをなくし、自立した生活を破壊され、時には不登校に陥る場合もある。
 そこまでいかなくても、もともと好きな者が自由に参加して行う活動である筈の部活が、必修クラブという教科課程の代替とみなされ、強制的に全員加入とさせられ、しかも一度入部した部活とを自由にやめたり代えたりすることができなくなっていることが多い。

■部活と学校生活を考える会

 こうした行き過ぎた部活指導のあり方を改善するよう十一月十六日、「部活と学校生活を考える会」(亀田道昭代表)は、川越市と坂戸市の全公立中学校三十校の部活動の顧問に宛てて、「要望書」を郵送した。
 「考える会」は昨年七月二十三日に結成準備会、八月七日には会を結成し、三ヶ月間署名活動を行い、八百六十名の署名添えて、川越市、坂戸市、埼玉県のそれぞれの教育委員会に要望書を提出した。
 この改善要求に対して、少しずつ改善の兆しは見えてきたが、根本的な事態は変わらず、今も子どもたちは、朝早くから放課後遅くまで部活の練習を強いられている。また、前記のように部活にからむ自殺事件もあり、一方で高校入試の内申書の評価に部活が影響するということで、評価のために部活に励むという逆行する現象も起きてきている。そこで、「会」では、改めて「要望書」を提出することになったもの。なお、要望項目については、昨年十二月に提出した内容と大きな違いはない。以下、要望書の全文を紹介する。
   *   *   *
 要 望 書
 部活動顧問各位様

 日頃の教育・部活へのご尽力に心から敬意を表します。
 私共「部活と学校生活を考える会」は昨年来、子供たちのゆとりある学校生活を求めて、部活の行き過ぎを改善していただきたく、関係方面に要望してまいりました。
 そうした中で、「部活の強制加入はダメ」といった川越市議会における教育委員会の答弁があり、また市内の中学校においても、任意加入に変わったり、朝練も減り、参加も自由になったりと、改善の見られた学校もあります。しかしながら、大部分はあいかわらず、朝早くから夕方遅くまで、日曜日も休まず、練習漬けの毎日です。子供たちは家庭でのいこいの時間もなく、心身とも疲労し、ゆとりのない学校生活を送っています。
 部活の在り方もともすれば勝利主義に走り、体罰やしごきを容認し、顧問や先輩との人間関係も歪めがちです。
 また練習にあたっては、事故やけがをはじめスポーツ障害など、子供の成長と体力に配慮した内容が望まれます。

 以上のような視点から、左記の八項目を、埼玉県、川越市、坂戸市の各教育委員会と川越市と坂戸市の全中学校に要望してまいりました。
 部活の顧問におかれましては、これらの要望をご考慮いただき、来春からの部活のカリキュラムに反映させていただきたく、要望します。
  要 望 項 目
一、行き過ぎた練習の見直し
 a、休みの土曜日、日曜日の練   習の中止
 b、朝練の廃止
 c、行き過ぎにならない練習の   実施(目安として週三回)
二、部活の全員加入を止めて自由  参加とする
三、本人の意思による転部、退部  をみとめる
四、部活の運営は生徒の自主性を  尊重する
五、体育部偏重を改めて文化部の  充実を計る
六、部活に関する情報を保護者と  子供に充分知らせる
七、経済的個人負担の軽減
八、事故防止に努めるとともに、  体罰、しごきをなくす
以上

一九九五年十一月十六日

「部活と学校生活を考える会」
代表 亀田道昭

■講演 「部活の功と罪を考える」

 この要望書提出に関連して、「考える会」は十一月十九日、川越市福祉センターにおいて、「部活の功と罪を考える」と題して、埼玉大学講師の大畑佳司さんの講演と参加者による討論会を開催した。大畑佳司さんは四十四年の小学校教員生活の後、請われて埼玉大学の講師となり、五年ほど教育学を指導してこられた。以下はその講演。

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 子どもたちにとって、本来部活は楽しいものである。部活があるから中学校生活が楽しいという側面がある。学校に行く喜びの中には、友だちと関わったり、体を動かして活動し合う、友だちと共同の目的で何かに取り組むということがある。部活には、少年期・青年期に教育的意味合い  人間的成長を発達させるということで意味がある。子どもたちが自分たちで目的を持って、相談し合い、自主的に運営できるということ。子どもたちの個性や要求に依拠して、仲間同士で創り上げていくものである。ところが、現実には親にとっては心配であるし、教師にとっても大変である。

 もともと、クラブ、部活というものの大本は、自主的な活動から始まっている。大学で「特別活動論」という講座を大学でやっているが、クラブ・部活の起源は、明治二十年代に学校制度が出来上がり、旧制高校や大学(専門学校)で学生たちが集まって趣味の会を作ったことから始まっている。はじめはボート、野球、テニスなど、西洋の学問と同時に入ってきた西洋のスポーツであった。日本の相撲、柔道、剣道などは後から始まった。
 スポーツの前には、弁論大会などがあった。私塾で福沢諭吉は、学生たちに学んだことを発表させたり、意見が分かれるとディベートを取り入れて討論をさせたりしていた。

 部活は学生たちが自分たちの生活を豊かにするために、学生の自主的、自発的な活動の中から始まった。自分達で運営し、企画を考えた。
 はじめ高等教育機関で始まったものが、義務教育機関にも反映して、学校がその存在を無視できなくなり、子どもたちの課外活動という形で行われるようになっていった。しかし、学校の中には位置づけられても、明治時代にはまだ教育課程という形ではっきり位置づけられるようにはなつていなかった。ところが、昭和期に入ると、学校教育の中でも次第に自由な空気がなくなり、軍国主義の教育になっていき、修練課程ということで、鍛錬の教育に収斂されていくことになる。柔道、剣道、相撲が奨励され、外国のものはやってはいかんというようになった。英語も禁止された。こうして生徒たちの自主的な活動が学校の管理下、体制下に教科とおなじように組み込まれていった。それが、戦後の教育の中にも、残って出てくることになる。

 戦後、軍国主義を否定する新しい国民主権による教育をやるということになった。基本的人権の尊重、教育の機会均等、平和教育などを進めるようになった。
 昭和二十二年、最初の指導要領(案)が出された。これは押しつけではなく、親や子どもの意見を聞いて、地域の実情にあった教育をするということであった。
 その指導要領の中で、教科の学習と共に教科の発展として自分で課題を持って取り組む自由研究の時間を設けた。これがクラブ、部活としての戦後のハシリであった。ところが、昭和二十四年に新制中学校の発足と同時に、それが「特別教育活動」となり、その中に自由研究が統合され、ここから「クラブ活動」が生まれた。
 昭和二十六年に、「特別教育活動」として、クラブ活動が位置づけられることになった。児童会、生徒会というものと並んで、クラブというのが課外活動として出てきた。時間数はあてなかった。

 指導要領は昭和三十三年に法的拘束力を持つようになったが、その中には正式には「部活」という名称はなかった。小学校の場合、指導要領の変遷の中で、昭和四十三年の指導要領の中に、週一時間の全員参加の「必修クラブ」というのが出来た。当然、ここで生徒の自主性が活かされない、希望のクラブに入れないなどという問題も起きた。

 やがて、部活に経済的要請の影響が出てくる。企業の利益のために、企業の名前を売り込むために、クラブが選手養成の意味を持ち始める。指導要領に拘束性を持たせる管理主義的な統制が教育の中に出てくると同時に、クラブ活動も学校の統制下に入ることになる。そして、外側から企業、国体、オリンピック等の要請が入ってくる。企業が直接入るのではなく、中間に中体連、小体連を使い、部活の子どもたちを参加させるという形で入ってくる。従って、学校教育の中身から出発してそれに基づいて部活の子どもたちを参加させるのではなく、外から持ち込まれたものになっている。そこにスポーツ文化への偏重など、いろいろな問題が起きるようになった。

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■現場からの声

 子どもにとっては部活は楽しみだが、指導者に成長期の子どもにあった指導をしているのかとの疑念や、長時間の部活が家庭の私生活まで壊してしまうこと、授業よりも優先される部活の問題、スポーツ医学を考慮しない指導、内申書がらみの部活問題、埼玉県の部活の過熱ぶり、部活の取り組みで教師を評価しようとしたり、部活をやっていれば安心する親の問題、新学力観と経済同友会の「合校」の問題、親の教育問題に果たす役割、部活の問題から教育問題を全体的に取り上げる、等々、様々な問題が話し合われた。




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