トップへ
トップへ
戻る
戻る


「あたりまえのこと」


(3)「あたりまえのこと」

 みなさんは、「あたりまえのこと」といえば、どんなことを思い浮かべますか?息をしていること、お腹がすくこと、ご飯をたべること、、笑顔になること、などなど。たーくさんあると思います。何気ない生活の中で、意外と見落としてしまいがちな「あたりまえのこと」。これが結構大切なのでは……と私は今注目しております。

 どういうことかと申しますと、例えば最近お受けした相談で、どうも子どもが最近イライラしている。母親が話しかけても「うるせえな」としか言わなかったり、たまに暴力を振るおうとしたりする、どう対応すればよいのか分からない、というものがありました。

 話をつめていくと、この子は中学受験を控えていて、友達との約束を断って毎日塾へ通っているとのこと。母親との会話も、「勉強しているの?」とか、「これくらいの成績じゃあどこも受からないわよ」とか、勉強がらみの話が中心になっていました。

 こちらが、お子さんのイライラは「お受験」が原因なのではないですか?と尋ね、そんなときこそ、母親のほうが十分ゆとりをもって接してあげてみてはいかがですか?と提案してみると、どうも父親の家系が代々エリート学校卒業の学歴をもっており、「お受験」はあたりまえで、万が一失敗でもしたら大変なことになる。親戚に頭があがらない。だから私も大変なプレッシャーをかけられており、気持ちにゆとりなんてもてるはずがありません、と話されました。

 この母親にとっての「あたりまえのこと」、それは「お受験」でした。でも私は思うのです。もっとほかの「あたりまえのこと」に目をむけて、ありがたがってほしい、と。

 「お受験」に成功することだけが、この子の幸せではありません。毎日学校に行けること、食欲があること、友達がいること、帰る家があること、笑ったり泣いたりできること、そして、健康でいること。そういったことができているだけでなによりの幸せだわア……とは思えないものでしょうか。「あたりまえのこと」を見直すすばらしさっていうものは、案外気持ちを楽にしてくれるような気がします。

 前例の母親だけでなく、自分を含めたほとんどの方に言えることですが、「あたりまえのこと」はそれが「あたりまえ」でなくなった時に、初めて気付くことが少なくないと思います。

 また、自分にとっての「あたりまえ」と他人にとっての「あたりまえ」、それぞれの時代による「あたりまえ」はやっぱり少しずつ違いますよね。それを意識していないと、お互いが「あたりまえのこと」の押し付け合いになってしまいます。これは、相談員である私にとっても、常に注意をして気をつけていることです。だから、自分の感覚とか経験というものは大切にしたいものです。

 イライラしているとき、悲しいとき、落ち込んだときなどに、「あたりまえのこと(お金はないけど病気にはならないわア結婚してないけど家族がいるわアなど」を思い出して自分をなぐさめる、というのも、元気回復の第一歩だと思いませんか?
 ぜひおためしあれ!




トップへ
トップへ
戻る
戻る